第8期生

(1981年度)

10周年記念誌より抜粋

第8期 会長 手記

発足から今日まで、幾多の困難と様々な試練に会いながら常に伊勢原少年野球のリーダーとして輝かしい実績を納め、今日の安定した基盤を築き上げられたことは監督、コーチを始め諸先輩方の多大なご指導、ご協力の賜物であり、ご苦労に対し衷心より敬意を表するものであります。

私の野球との出会いは終戦の混乱期で小学校の5~6年生の頃でした。当時は指導者もなく野球道具も金を出しても変えない時代、お互いに用具は手製で(たとえば、シートへ厚布を手形に切り綿を済めて縫い合わせたグローブ・ボールはゴムと布を糸で硬く巻き上げた)、ルールについても完全なものがなく、お互いに研究し合い野球を始めた。打つたびに巻いた糸が解け打ち上げロケットの煙のように球の後を糸を引くといった具合で、同じ野球をやるにも今日の子供には想像のできないことをしてきたのが野球との出会いであった。

それから35年、現代の少年野球は進歩した。指導者や体力に恵まれ、技術・チームワーク・一つのものに打ち込む少年の姿には目を見張るものがあり感動させられ、当時を思い出しては時代の流れを痛感いたします。しかし時代は変わってもスポーツを通じ健康で明るい責任感の強い青少年の育成には変わりなく、益々普及、反映させたいものである。

 

 

第8期 部員 手記

小学校4年生の春だった。野球に関しては無知であった自分が、幸か不幸かその野球部に入部してしまったのだ。

この年の六年生は強かった。市内大会で四連続優勝をしたのだ。問題は送別大会なのだが大差で勝ってコーチを胴上げした。この瞬間、石黒先生の涙を見て胴上げしようと決心した。

そして、六年の春から目覚ましい勝利を続け県大会優勝の偉業を成し遂げたのだった。三月最後の送別大会に望んだ。この大会でも快勝を続け、決勝で緑台との試合になった。この試合では、接戦になった。延長で相手はランナー三塁まで進塁した。相手は、バントをしてきた。そして、涙をのんだ試合になってしまった。しかし、小学校三年間の野球の内で貴重な試合体験になったと思う。

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