第7期生

(1980年度)

10周年記念誌より抜粋

第7期 副会長 手記

 

それまで身体の休養日となっていた、日曜日が役員引き受けてから朝早く起き、子供達と車で遠征試合の送迎する様になり、当初生活のリズムが狂いましたが、子供達の試合を見ていると夢中になり疲れも忘れる日々が続きました。

当時あまりなかった、子供とのふれ合いが野球を通じて行えたのが私にとって一番うれしいことでした。

今の子供は、文字通り温室育ちで、欲しいものは何でも与えられ、心身的にも挫折しやすい子供が多くなってきている中で、自然の環境で寒さにも耐え、暑さにも耐える子供達を見ていて頼もしく思いました。

又、練習試合を通じて如何なる時にも耐えることのできる根性を学んだことと思います。

これからも、心身共に強い子供を、野球を通して教育して下さる様、監督及びコーチの皆様にお願いいたしますと同時に、成小野球教室の今後の発展を心より祈っております。

 

第7期 部員 手記

僕が、まだチームに入りたての頃、はっきり言って野球がとても下手だった。

それが卒業するまでに、ちょっとはましなプレーができるようになったのは、自分なりに努力したからだと思う。

もちろん監督やコーチのおかげでもあるが一番は自分自身であると思う。

僕は今、アメリカに住んでいる。

日本人なので英語は得意ではなかったが、毎日努力をしているので、今は何とか現地の学校にもついていけるようになり生活をエンジョイしている。

あきらめてはいけない。

努力を続けていればいつかはきっとできるようになる。

努力とは自分自身との戦いなのである、ということがアメリカに来て色々な体験をし、よく理解できた。

みんなも野球教室の伝統をいつまでも守って頑張ってください。

アメリカから応援しています。

 

第7期 部員 手記

僕が、

5年生の最初、成小に転校し、学校に通い始めてから1週間して、同じクラスだった子に「野球教室入んなよ」と言われた。

最初、そんなことは聞いてうなずくだけで入る気なんて全くと言ってなかった。

そして、なかなか入ろうとしない私を見かねてかどうかは知らないけども、ある日の掃除の時間に石黒先生が何とかうまいことを言って入らせようとやってきた。しかしその場は何とか減らず口を言って逃れた。それから何度か「入らないか」と言いに来た。そしてとうとうそのうまい言葉に乗せられてか、10月の最初やっと野球教室に入ることになった。

最初のうちは苦しくてくじけそうにもなったが何とか切り抜けて先生やコーチの熱心な指導に応えられるよう頑張った。

そして6年を卒業するまでやり遂げることができたのも先生やコーチのおかげだと思っています。

1年半という短い間でも自分は大変だったのに、先生方は10年もの長い間たくさんの人を指導してきて大変だったろうと思いますが、これからもいっそう成瀬少年野球教室のため頑張ってください。

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