第5期生
(1978年度)
10周年記念誌より抜粋
第5期 後援会会長 手記
緑台小学校の開校により、部員の何名かが転校した。緑台少年野球チームもできた。53年度の新チームは、ヨタヨタだった。
結局、このチームは、市外のチームとの、華々しい対戦はなかったわけだ。
そんなこんなで思いついたのが、メカタ杯争奪親善大会だった。
もちろん成瀬の主催で、近郊のチームを読んで大会を開くわけだ。招待チームの選択が難しい。強すぎても、弱すぎてもいけない。
大会の運営は今一だが、とにかくこれも優勝した。これが成瀬招待大会の始まりだ。
いろいろ考えた末、次は三年生からも入れてみるか、ということになり、3年生からも募集した。一挙に、3年4年の新入部員が増えて、総勢70数名となった。
これからの役員さんは大変だ。
言い出しっぺの一人として、ここでサヨナラはまずい。
コーチとして残ることにした。ボールやバットを操るのは難しいが、口を動かすだけならなんとかなる・・・。
だいたい以上が、私が野球教室にかかわりあった最初の年だ。
第5期 卒団生 手記
僕が野球を始めたのは、小学校4年生のころだった。はっきり言って、下手だった。
体は、大きかったが、とにかく鈍かった。4年、5年ときて、最上級生になった。そして主将にもなれた。
大会の始まる前には、よく練習した。校庭ではなく、安全広場で、ちゃんとしたグランドではなく、地面がぬかっていて、いつもドロドロになって、家に帰った。
それだけ練習しても、勝てなかった。自分が主将になって、勝てないなんて、とても情けなかった。
ほとんど負けっぱなしだった。恐らく、この58年度までのチームで最低だろう。しかし、戦績はどうあろうとも、何事も「一生懸命やる」ということなど、いろんなことを、野球を通じて学んだと思う。
スポーツをやるということは、素晴らしいと思うので、これからも、より多くの人が、野球を通じて、いろんなことを、学んでほしいと思います。
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