第3期生
(1976年度)
10周年記念誌より抜粋
第3期 後援会会長 手記
本教室の役員任期中の最大の思い出は何といってもあの白地に黒のNARUSEの文字のついたユニフォームを作ったことです。
ご父兄のみなさんと相談して本教室の備品として20着分と指導者の先生の1着分を会員の寄付によって作ることになり、当時の副会長、本部役員、地区役員の皆さん、そして会員全員のお力添えによって総額142,000円のご支援を得たのであります。
さてユニフォームについては型、色、ネームなど当時の6年生が中心となり石黒先生のアドバイスを受けて、あのユニフォームが子供たちの意見によって完成したのであります。帽子は本教室の一人である自覚を持たせるため全員が着用し、試合用ユニフォームを着用する20人の選考選手は石黒監督に一任したものです。
その後「物を大切にすること」や「先輩のユニフォームを着て技術やマナーを受け継ぐこと」などの理由から今日まで私物でなく本教室のものとして着用されていることを聞くにつけうれしく思っている一人です。
第3期 卒団生 手記
僕達の頃は、まだ市内大会もなく、試合は年に数回でしたが、みんな野球が大好きで一生懸命練習したものです。
練習は交通安全広場で週に4、5日、石黒先生の都合の悪い日は中止でした。
今、思い出されることといえば、みんな別々のユニフォームでやった初めての試合で、大逆転して勝ったこと、6年生になって作った揃いのユニフォームのこと、試合もしないで、市代表になって出場したこと、エールの交換でどもってしまったことなどです。
今考えてみると、自分のようにこれまでだらだらとなんとなく生きてきてしまった者にとって、あの幼さかりしころは、記憶バンクに残っている思い出の中でも大きなウェイトを占めているということが言えると思う。
そして、今後、どんなに思い出を蓄積していったとしても、あの幼さかりしころの占める比重は変わらないと思う。
それがどのような意味であるのか、つまり、これから幼さかりし頃の思い出が光り輝き出して大きくなっていくのか、それとも・・・と、考えている今日この頃である。
Copyright © NBBS, All rights reserved.